


君と僕の5分
予告
監督メッセージ




Director's Comment
チェン・ユーシュン監督
雲と霧はどちらも水蒸気から生まれます。
ひとつは空へと昇り、もうひとつは地上に立ちこめる。
もしかすると霧は、空高く飛び遠くを見渡せる雲を羨ましく思うかもしれません。
しかし結局のところ、雲も霧も、誰かの目に映る景色にすぎないのです。
1949年に始まった白色テロから、70年近くが過ぎました。
しかし、何千人もの犠牲者を生み、多くの真実や涙を荒野と時間の流れの中に埋もれさせた、この長く続いた政治的悲劇を描いた映画は多くありません。
あの冷酷な時代のなか、人々は野心や誤った告発によって、かけがえのない命や青春、自由を奪われました。そして最後には、人としての尊厳さえも踏みにじられ、愛する人を失った家族には、深い痛みだけが残されました。
不安、混乱、疑念、怒り、悲しみ、そして恐怖。何度もそれらを味わい続けながら生きてきました。最も無実でありながら、最も大きな重荷を背負わされているのに、それでも彼らは本来受けるべき配慮や敬意を十分に受けているとは言えません。
時が過ぎ、状況は変わったとしても、いまその顔に涙が見えないからといって、かつて涙が流されなかったわけではありません。
だからこそ私は、犠牲者の家族についての映画を作りたいと思いました。
残酷で無情な時代の中でもなお、人間の輝きが見える——そんな愛の物語です。
苦しみの日々の中で人を前へと進ませることができるのは愛だけです。
人権や自由の価値を理解するためには、私たちは勇気をもって痛ましい過去と向き合わなければなりません。
「古傷を蒸し返すな」と言う人もいます。しかし、その苦しみがあったからこそ今の私たちが形づくられ、今日の自由と人権のもとで、過去をあるがままに見つめることができるのです。
たとえそれが雲であろうと霧であろうと、私たちはあの風景を忘れてはなりません。私たち自身が、いつか誰かにとっての美しい風景となるために。

Opinion Comments
オピニオンコメント
人間を見つめる眼差しはいつものチェン・ユーシュンなのに、映画のラスト、不思議と今までとは違う涙が溢れました。
たぶんそれは台湾人としてあの時代に真摯に向き合った監督の覚悟に涙したんだと思います。
優しくて、可愛くて、ちょっと残酷なチェン・ユーシュン作品をこれからも観続けたいと思います。
山下敦弘(映画監督)
無垢で不器用な主人公が次から次へとひどい出来事に見舞われるもんだから、見てる私は心配で心配で絶えずスクリーンに吸い寄せられてしまう。エンドクレジットの優しいメロディと歌声に胸が熱くなりました。ひどい時代の間違った政治をエンターテインメントに昇華していて、どんなかたちでも暴き描き続けて残してやるんだという表現者としての意地のようなものを感じました。
大九明子(映画監督)
切実な時代を背景にしながら、センセーショナルに走らず一定のユーモアを失わないまま、見事なバランス感覚でそこにある暴力と希望を描き切っていた。
台湾の無法松(?)こと趙公道の人物像が最高で、ずっと見ていたくなるが 、その期待に見事に応えてくれる脚本に嬉しくなった。
深田晃司(映画監督)
台湾人の懐っこさと
優しいおせっかいの根源が
痛いほど詳らかに見てとれます。
運命に翻弄されながらも
人を信じることを貫いた
青年の純愛です。
大切なことが霧にかかって見えなくなったときに
ぜひ、おすすめしたい作品。
この景色があなたを人間として
いつまでも留めてくれるでしょう。
一青窈(歌手)
政治に抹殺された真実の数々が、政治に推奨されて日の目を見るまでに、台湾では長い年月を要した。今では、多くの人々が、時代の犠牲となった力なき者の悲哀に涙する。この映画が、その証拠の一つだ。
歴史は警告する。覚えておけ。さもなくば、また巻き戻すぞ。
銃殺する側の末裔だろうが、銃殺された家族の子孫だろうが、関係ない。不幸な未来を招き寄せないために、不幸な過去を忘れまいとすることは、現在を生きる私たちみんなの義務だ。
温又柔(小説家)
台湾の戒厳令は38年の長きにわたった。劇中で強調される「時の流れ」はいつの日か訪れる「夜明け」までのカウントダウンを示すものだ。その間、「白色テロ」により不当に未来を奪われた人々の犠牲のうえに台湾の人々は生きている。そこにあるのは悲哀だけではなく、次の世代の人々に託された「希望」である。時を超えて繋がれていく時計は、その「希望」を抱えながら刻んだ「時の流れ」を象徴するものだ。
野嶋剛(ジャーナリスト、大東文化大学教授)
現代社会を生きる人間たちを描くことで評価を確立した映画作家が、ひとたび自国の歴史とその時代を歩んできた人間たちを題材にした時、それはその作家のフィルモグラフィを代表する名作中の名作となる。これは、台湾の優れた映画作家に特有の運命的な現象のようだ。侯孝賢の『悲情城市』しかり、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』しかり。あるいはそこに、魏徳聖の『セデック・バレ』を 加えてもいいだろう。そして今、この台湾映画史ならではの特徴に、陳玉勲の『霧のごとく』も加わった。
暉峻創三(映画評論家、大阪アジアン映画祭プログラミング・ディレクター)
自由と尊厳が蝕まれた激動の時代でも助け合い、「より良い未来は必ず来る」と信じて生き抜くこと。その抵抗の積み重ねが社会を変えるうねりとなる。たとえ霧に覆われた暗い世でも、人が灯し続ける小さな光が未来へとつながっていくのだと、この映画は我々を優しく、そして力強く鼓舞してくれる。
ISO(ライター)
チェン・ユーシュン監督インタビュー
「見えない大きな力がこの作品を撮らせてくれた」

――かつては、白色テロを撮ることがあると思っていなかったそうですね。本作を撮ろうと思ったきっかけは?
『1秒先の彼女』が終わって時間ができ、年老いた両親と過ごす時間が増えました。父母の昔話を聞くうちに、その時代の出来事が気になってネット検索をすると、白色テロに関する衝撃的な記事が次々と出てきました。二・二八事件や白色テロがあったことは、多くの台湾人と同じように「なんとなく」知ってはいましたが、深く調べたことはなかった。ところが関心を持ち始めると、関連記事が勝手にパソコンに現れたり、図書館でもすぐ関連本が見つかったり、友人がその分野の専門家を紹介してくれるなど人脈も広がっていきました。いま振り返ると、なにか神秘的な力に導かれていたように思えます。
制作が始まってからも、不思議な出来事がありました。美術スタッフなどが入ってきて元のスタッフルームが手狭になったので、プロデューサーがより広いオフィスを探してくれました。でも、その新しいスタッフルームに入った瞬間から体調がすぐれず、とにかくイライラして気分が悪い。「何か変だ」と思って外に出ると、その違和感はすっと消えました。
――もともと「敏感」な体質ですか?
そんなことはなく、あの日、あの場所だけ強烈な違和感があったんです。新しいオフィスは(台北市内の)青島東路(チンダオドンルー)にあったのですが、思い当たることがあって、かつての「軍法処」(白色テロ期に人々が連行され、拷問を含めた取り調べや判決が行われた)の住所を調べたんです。軍法処とオフィスの住所が完全に一致したのを確認した瞬間、ゾッとしました。すぐプロデューサーに話して、みんなで「拜拜(パイパイ)」(伝統的な法要の儀式)をしたらようやく落ち着いて。それ以降は、撮影中も天気に恵まれ本当に順調で、公開までずっと「何かに守られている」と感じました。見えない大きな力がこの物語を撮らせてくれた、そんな感覚がずっとありますね。
――歴史と人生が絡みあった複雑な人物造形は、実在の人物や資料に基づいていますか。
特定の実在するひとりの人物をそのまま写したわけでなく、それぞれ「ある集団」を代表する存在として描いています。たとえば趙公道は、「老兵」(国民党軍退役兵)というグループを代表しているし、二雄や范春といった特務側にも異なる代表性があります。
――台湾の映画界全体の流れについては、どう見ていますか。
最近は映画祭に行っても自分が最年長だったりして、少し気まずいですが(笑)、台湾監督協会の理事長職も先週ようやく退いて、後任の林孝謙(リン・シャオチエン)監督に引き継ぎました。若い世代の監督たちは、私の世代よりしがらみが少ないし、健全ですよ。最近では『功夫』(監督:ギデンズ・コー)も『ダブル・ハピネス』(監督:許承傑)も素晴らしかった。一般の観客やマーケットのことも考えつつ、完成度も高いです。『陽光女子合唱団』、『角頭』、『96分』『泥娃娃:呪いの人形』など、ジャンルも多様で興行的にも成功しています。ここ最近、台湾映画は全体的にすごく元気ですし、今後もどんどん良い作品が出てくると思います。
――最後に、日本の観客へひと言。
これは私にとって初めて、実際の歴史にかなり近い物語を撮った作品です。でも、重いだけ、苦しいだけの映画ではありません。笑いも涙もあり、一つの時代に没入できる映画になっています。観終わったあとも、その世界の中にしばらく留まってしまうような感覚を、日本の皆さんにも感じていただければ嬉しいです。
※1 日本統治期以前より台湾に住んでいた漢民族系の人々を「本省人」、戦後に国民党政権と共に台湾に渡ってきた人々を「外省人」というが、台湾社会の亀裂を深め、差別的な意味合いを持つこともあり、現在台湾の公的言説では慎重に扱われる傾向がある。ここではエスニシティを区別するため、便宜的に用いている。
※2 台湾では、個人や企業が一回の上映会を貸し切りにするのが盛んで、これを「包場(バオツァン)」という。台湾での興行の重要な収入源となっており、配給会社や製作側もアフタートークの登壇などで協力する。
オフィシャルインタビュー:取材・構成・執筆:栖来ひかり(2026年3月9日台北市内)

